ドラマ “セブンティウイザン”をみて考えた大切なこと

70歳での初産、夫婦の子育てドラマ。まず原作をLINEマンガで読んでびっくりした。なかなか興味深い。作者さんすごいなあ。テレビドラマを録画して、みている。はじめのほう見逃してしまい、ようやく5回目あたりからみているが、もう次回は最終回である!

夫婦を演じる俳優さんも、すてきな人選だと思う。夫の朝一さんが小日向文世さん、妻の夕子さんが大好きな竹下景子さん。

( ↓ 以下ネタバレになるかもしれません。よろしくお願いします)

ドラマが、父親(朝一)の目線で流れていくところがいい。父親が育児の主体、生活を回してゆく主体になっているのだ。夕子が産後肺炎になり入院中、ちょっとなにか食べようと思って炊飯器をあけても空っぽ。妻が炊いていてくれたから、ご飯はあったのだとしみじみ気づく。乳児をひとりでみるということは、大変に緊張し気が休まらないことなんだと気づく。正直で素直な男性のすがたである。朝一が定年退職後であり仕事に出かけなくてよいという設定がいい。

夕子が肺炎で入院したとき朝一は知人にヘルプを求め、おなじマンションで暮らす夫婦とも交流して乗り切っている。それまで朝一は人付き合いが苦手で友人も少なかったというが、子どもが生まれてからはつきあいよくできている。これは…もともと素質があったと解釈すべきか、ドラマだから?というべきか。子どもが生まれたことで人間が本来あるべきところに引き戻してもらえた、人とつながって生活をしてゆくことに目が覚めた、ということはあると思う。

一般的な子育ての場合も、産休育休を取ることで人間らしい生活をとりもどすことができる。女性男性どちらにとっても同じことで、とくに男性の育休はとても重要なことなのである。このドラマでわかる大切なことの一つは、そこではないだろうか。